日本のはじまり〜旧石器発掘の秘話〜

 

 地上に人類が現れたのは500万年前…

地質学では鮮新世と呼ばれる時代です。

このころはまだ日本列島すら今の形をしていません。

 

ちなみに今発見されている最古の人類は500万年前の

ラミダス原人です!1990年代にエチオピアで発見されました。

もしかしたらアウストラロピテクスって習った人もいるかも…?

アウストラロピテクス1924年の段階では最古の人類でしたが…

 

そして200万年前になると、地球は氷河時代になります。

地球上では冷たい氷期と比較的暖かい間氷期が交互におとずれます。

さらにこのころは地殻変動が激しく、火山噴火も激しかったので

地形に変化があらわれました。この時代を更新世と呼びます。

 

人類が地球に生まれてからこの更新世と呼ばれる時代までが、

あの旧石器時代とよばれる時代です!

 

この頃から人類は文化を形成じはじめたのです。

ではこの時代の人たちは一体どんな生活をしていたのでしょう…?

 

とにかくまだ何も無い時代。そんな時代に人間はまず

石を打ち砕きます。(たぶん道具にできるのが石しかなかった…)

で、ご飯を食べなければ生きていけないので、動物をしとめる方法を考えます。

となると攻撃できる道具を生み出します。それが握槌(にぎりづち)などです。

見たことありますか?石を打ちかいただけ感がハンパないです。

ですがそこから石刃(せきじん)尖頭器(せんとうき)など

刃物の機能をもったものも作られるようになります。

それでナウマンゾウマンモスオオツノジカヘラジカなどの動物と

戦ってたと思うとすごいですね…。

こんな簡単な道具だけで野獣に突っ込んでたと思うと相当やばいです。

 

この頃の化石人骨でいうと沖縄の港川人静岡の浜北人が有名です。

人間は猿人原人旧人新人と発展してきましたが、2つの化石人骨は新人のものです。

ここでこぼれ話をひとつ。

1931年に直良信夫(なおらのぶお)によって発見されたのが明石人骨です。

戦時下の空襲で実物は無くなりましたが戦後、長谷部言人(はせべことんど)

「明石原人」と命名しました。えっ、見つけた人と命名した人違うの!?っていう…

それだけならまだ良いとして、さらにこれが実は

「明石原人」は原人ではなく新人だったという…あぁ…

最近の研究でわかったことです。あぁややこしい…

 

さて、1949年、群馬県岩宿(いわじゅく)関東ローム層という地層から

旧石器時代の石器が発見され、日本の旧石器時代にこのような文化が

存在したことが確認されました。

この石器を発見したのが相沢忠洋(あいざわただひろ)です。

 

「へえーそうなんだ」で、終わりますよね?…でも違うんです。

この相沢さん、本当に苦労された方なんです。

 

この旧石器文化を見つけた相沢さんは、発掘報告書を学会に提出します。

ですが…当時の相沢さんは周囲から学歴がないからといわれ、

まさかの存在を無視されていしまします。

それだけじゃないんです!

発掘の手柄が、相沢さんが所属していた発掘チームのリーダーのものに…

さらに相沢さんは詐欺師などという悪い噂をたてられたりもします。

ですが相沢さんの考古学への情熱は冷めず、その後も次々と旧石器の遺跡を

発見していったのです。そして徐々に悪い噂は消え、ついに!

岩宿の石器発見から18年後、いままでの努力が認められ、

すぐれた文化活動をした人などに贈られる吉川英治(よしかわえいじ)賞を受賞!

こんなふうに情熱を注いで発掘されたもののおかげで

いまの私たちは昔の人の生活を垣間見ることができます。すごいですよね。

感謝感謝…

 

 

 というわけで今日は人類の誕生から旧石器時代の話をしました。

旧石器時代の次は土器をつくりはじめた縄文時代です!

次回のブログは縄文時代のくらしについて書きます^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歴史〜百人一首の魅力〜

今日は百人一首の魅力を語ろうと思います。

 

百人一首との出会いはたぶん高校の時の朝の古文のテスト。

20個ずつテストされててんけど合格点が16点とかだったので、

 「こんなもん満点とらんくても16点分だけ覚えてたらええねん」って

テスト開始直前になって友達の前で余裕ぶっこいてたものの

紙一重で不合格を連発していたという苦い思い出があります。

 

 その時は魅力に一切気付かず、とにかく覚えるだけでした…

 

それはさておき、そもそも百人一首とは何なんでしょう?

 簡単にいうと短歌が百首集まったものです。

 

鎌倉時代の初期に藤原定家(ふじわらのていか)という人が

ある日、息子の為家(ためいえ)の妻の父である

宇都宮蓮生(うつのみやれんしょう)

「いい歌を色紙に書いてふすまに飾りたいので選んでくれ」

と頼まれ、藤原定家はそれまでに詠まれてきた和歌の中で

一人一首ずつ、計百首を選ぶことにしました。

 

こうして約600年間で詠まれた膨大な数の中から選ばれた百首は

のちに小倉百人一首と呼ばれるようになります。

 

そして今日はその「小倉百人一首」の中から

私のお気に入りランキングを発表したいとおもいます!

日本語訳も書いとくので、詠んだ人が「あ、この歌いいな」って思って

百人一首に興味もってくれたら嬉しいです笑

 

 

第5位!

 

ひさかたの 光のどけき 春の日に

静心(しづごころ)なく 花の散るらむ 

 by紀友則(きのとものり)

 

現代語訳

日の光がのどかであるこんな春の日に

どうしてあれほど落ち着く心もなく桜の花は散ってしまうのだろう

 

感想 

桜の木が風にそよいで花びらが散る時のあの

「ざあ」「ざざあ」っていう音、なんかちょっとさみしいですよね…

でもそのなんか儚い存在だからこその桜の美しさ、良い!!

というわけでまずは5位でした。

 

 

 第4位!

 

白露(しらつゆ)に 風の吹きしく 秋の野は

つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける

 by文屋朝康(ふんやのあさやす)

 

現代語訳

草の葉の上の白露にしきりに風が吹きつける秋の野は

ひもで繋いでいない真珠の玉があたりに乱れ散るようであることよ

 

感想 

これすごすぎませんか?笑

葉っぱの上に乗ってるしずくが風で飛ばされるのを

繋いでいない真珠のようだという感性。笑

綺麗な情景が目に浮かび、表現力に感動です!

 

 

第3位。

 

かささぎの 渡せる橋に おく霜の

白きを見れば 夜ぞふけにける

 by中納言家持(ちゅうなごんやかもち)

 

現代語訳

かささぎ(鳥)の群れがつばさを広げて橋をかけたという

言い伝えがある天の川。それがまるで霜がおりたように

真っ白に見えるとは、周りはずいぶん暗くなり夜もふけてしまったなあ

 

感想

ロマンチックの極みですね…

その真っ暗な空にキラキラ光る星の集まりが広がっているのを

考えるとかなり綺麗な状景です。

 

 

 

第2位!!

 

朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに

吉野の里に 降れる白雪

 by坂上是則(さかのうえのこれのり)

 

現代語訳

夜がほのぼのと明ける頃、あたりを見渡すと

まだ空に残っている有明の月が照らしているのかと

見間違うほどに吉野の里に降り積もっている白雪であることよ

 

感想

あたり一面真っ白なのが想像できて冬の凛とした空気まで

感じられるような歌で、ものすごくお気に入りです。

個人的に冬好きです。あの静かで冷たい凛とした空気最高です。

とても美しい状景を詠んでいて、かつ冬の歌が好きなので2位!!!

 

第1位!

 

天の原 ふりさけ見れば 春日なる

三笠の山に 出でし月かも

 by安倍仲磨(あべのなかまろ)

 

現代語訳

大空をはるかにあおぐと美しい月がでている。

ああ、あの月はふるさとの春日にある三笠の山に

出ていた月と同じなのだなあ

 

感想

作者は中国(当時の唐)に留学しに行って

三十数年唐で勉強したあと

日本へ帰る時の送別会で詠んだものです。

 

若い頃に見た月と今見た月の同じ美しさに感動したと…!

 

「ふりさけ見れば」っていうのは「あおいで遠くを見れば」

って意味なので、その歌を詠んだ状況もロマンチックです。

山々があって広い空に月が綺麗にでてたと思うと…

素敵です!!

 

というわけで一位でした!

 

いまこの時代に私たちが見てる月と、

この歌人たちが見ていた月が同じだと思うと、

ちょっと感動しますね…。

 

それではまた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別の側面からみる本の魅力

 

今日の考察は「本」についてです。

 

最近デジタルメディアの台頭によって

本は売れなくなってきたと言われてて

ちょっと寂しい気持ち。笑

 

その理由としてあげられるのは

デジタルメディアに比べて

情報量が少ない、

スピード感がない、などなど…

 

でもそんな風に思っているのは

紙を情報を載せる「媒体」だと

捉えているからかなって最近思います。

 

膨大な量の情報をストックしたい、

もしくは送ったり受け取ったりといった

高速で移動させたい、という場合には

デジタルがかなり便利。

 

両者を「媒体」として捉えることで

デジタルの強さが顕著に出ます。

 

じゃあもし紙を媒体としてでなく

物質として捉えてみたらどうなるでしょうか…?

 

本を媒体としてだけでなく、

その触れられる存在として捉えたら

きっとその魅力を再発見できるんじゃないかと気づきました。

 

情報をどれだけ効率よく管理するか、は

きっとデジタルメディアのほうが便利です。

 

でも本のページをめくった時、

その紙という物質から五感を通して

感じられる「何か」があると思います。

 

そこには素材の魅力があって、

形を変えるという可能性を秘めていて、

触れるという人間の直接的な感覚で

何か伝わる物がある…。

 

それを大切に、本にかかれてある文を

これからも味わっていきたいな〜と思いました。

 

 

デジタルメディアが台頭して

本が無くなっていくと嘆かれる今日、

その媒体という立場をデジタルに任せた本の別の魅力は、

物質として捉えることで顕在化するって

あえてここで言い切ります!

 

この意見に対して異議したり、賛同したりすることで

確かに自分の思う本の魅力ってなんだろうって

またみんなに改めて考えてみてほしいです。

 

これを卒制のテーマに掲げます!!!